ヒビのブログ

19歳の車いすユーザーが個人的見解を綴っています。

多目的トイレの使い方、在り方。

こんにちは。

先日SNSで、Ratchi(@Terayan0103)さんのツイートをお見かけしました。

私もこれに何度も困ったことがあるので、見た瞬間に「わかる〜〜!」とRTしていました。
ということで私もトイレについての不満を書きます。

最近省エネ(もしくは節約)の為に多目的トイレを施錠されているところがたまにあり、泣いています。
その他にもトイレの不満ってたくさん。
それの話。


多目的トイレの使い方

誰しも必ず使うトイレ。
それは私達も例外でなく、外出先で要することもある。


私たち車椅子ユーザーは身ひとつで動ける訳ではないからある程度の広さと設備が必要で、それを確保してもらった結果が多目的トイレだ。

ちょっと前までは車椅子用トイレと呼ばれていた気がするが、いろんなニーズに気づき呼び名が変わってきたのだろう。


いろんなニーズとは
・ベビーカーを使うひと
・おむつ替えをする為のベッド
・身体機能的に不調のあるひとの為の手すり
オストメイト設備や注射針の回収BOX
・外見の性と中身の性が異なるひと、または男女以外の性を持つひと
・身体が大きくて男女トイレの個室を使うことが困難なひと
など


確かにとても多目的だ。
当事者にとってはないと困るものばかりで、あったらとても助かること間違いない。
だからみんななるべく綺麗に、そしてスムーズに使おうと心掛ける。
当事者はなくてはならないものに対してかなり誠実だ。


だが、悲しいことにこの誠実さを傷つける当事者ではないユーザーがいる。
ハロウィンやイベントなどの機会に着替え場所やメイクスペースとして使われてしまうのだ。
それらは大抵30分〜数時間かかるし、決まって後片付けが行き届いていない。
昨年11月にSNSで多目的トイレを使おうとしたらあまりに悲惨な状態だとしてRose Dawson(@NakashimaMinion)さんから注意喚起の発信があった。

ハロウィンの仮装の為に使ったのだと予想されるが、メイク道具で汚された洗面台、大量のゴミで溢れたベビーベッド、トイレットペーパーの残骸などが写った写真付き。

これを見て、そこでなければ用が足せない私はとても傷ついた。
私達にはどうしてもそのスペースが必要なんだ。
別なトイレは2km先かもしれないんだ。
イベント準備は家でやってほしい。
どうしてもここでなければならない理由があるのなら、せめて綺麗に時間をかけずに使ってほしい。


そんなに難しいことを求めているわけでは無いはずだ。
私たちが数少ないトイレを命がけで使っているということを忘れないで。



多目的トイレの在り方

先程述べたように、多目的トイレは非常に多目的だ。
これだけの用途があるのだからそれなりに使用頻度だって高いだろう。
それなのに何故ワンフロアにひとつ程度の設置なんだ。
大きな百貨店やモールですらトイレは2箇所、多目的は片方のみの設置が多いと感じる。


そんなにベビーベッドを必要としない子供連ればかりが来るのか?
そんなに車椅子ユーザーは来ないのか?
そんなに身体が元気なひとしか使わない店なのか?

最近は男女のトイレ両方にベビーベッドが置かれているケースも多いらしいが、それを抜きにしたって数が少なすぎる。


“多目的”でいかにも使われる頻度が高いですよ〜〜〜という名前を付けておきながら、設置数は多くてワンフロア2つみたいなのなんとかならないのか。

私がトイレへ行くと大抵誰かが使っているからニーズはある。
絶対にもっと増やすべきだと思う。



異常な使い方が目立つせいで、あまり当事者以外の使用が許されていない感じがあるが、そもそも多目的という名なだけあって誰でも使えるトイレであるべきなのだ。


急な腹痛や催しで苦しい時、最初に目に入ったトイレが多目的トイレなら使うことを躊躇うほうがおかしいと思う。
緊急時の呼び出しボタンがあることがほとんどだから、あるかもしれないもしもの時だって安心だ。


このような時のためにも数が必要だ。
それに気づく経営者、設計者、建築業者はまだいないのか。
平成も既に30年なのに。



冒頭ですこし触れたベビーベッドの使い方の件でも思ったが、ただ設置しただけで満足してはいけない。
そこからうまれたニーズにまで応えて、やっと完成するんだ。

“車椅子ユーザーでも子育て世代はいるのだから、身体に不自由があるひとでも戻しやすい(使いやすい)ベビーベッドにしてはどうか”というような案が出されていた。
これは素晴らしい案だと思う。


いつか本当の意味での多目的トイレへと進化できることを期待している。

「見ちゃだめ!」って言わないで

大変遅いご挨拶となってしまいましたが、あけましておめでとうございます。本年もマイペースに更新していく予定ですのでどうぞ宜しくお願い致します。

今回は昨年末起きた話の記事です 。

これを書いていて、今の子どもたちがどういう風に福祉について学んでいるのか興味がわきました!!知ってる方いましたらコメントなどしていただけたら嬉しいです。

 

小さい子はだいたい私を見て固まる

今日は20日ぶりに地元のスーパーへ買い物に行った。
といっても私は母についていっただけなのだけれど。

時間は午後7時半。
お父さんやお母さんと一緒に買い物に来ている保育園〜小学生くらいの子どもが結構たくさんいた。


小さな子どもたちは私をみると大抵真顔で口を開けたまま固まる。
きっと頭の中は今まで見たことない乗り物に乗った若めの大人についてどう処理してよいのか迷ってフリーズしているのだろう。
私は微笑み返して迷っていたプリッツの味をまた悩み始める。
子どもたちの私を見る顔は真剣そのものだ。
だがそれに親御さんが気づいた途端に「すみません」とか「ほらっいくよっ」とか言って子どもを引っ張って行ってしまう。
子どもたちは「車いすユーザー=見てはいけないもの」で結論づけたかも知れない。

私はほぼ決まっているこの流れで毎回密かに心を痛めている。
さすがに2年半も続けば慣れてしまうものではあるが、小さい棘でも棘は棘。痛い。

「すみません」の意味が、うちの子がガン見してすみませんってことなのだろうと予想はできるし、「ほらいくよ」のときは、子どもが見ていることに私が気づく前に子どもをその場から離れさせたいのだとは思う。(もしくは急いでいるからぼーっとみてないで!って事かも)

どちらにせよ、子どもにとっては 車いすに乗った人=見てはいけないもの という方程式が出来上がっているのではないかと私は不安でたまらない。
だって大体中学生くらいになったらみんな、私のことをとっても気にしているのがあからさまにわかるのに、それでも極力バレないようにこっそり横目で観察していくんだから。

なんなら声かけて天気悪いですね、道中大変でしょう。みたいなノリで話してくれてもいいのに、私が振り返ると決まって商品棚でみりんを吟味しているふりをする。

でもこれがきっと日本人の“常識的な大人な対応”なんだろう。
悲しいな。わざと無視されている気分になる。


根源を辿れば、障害者が気軽に街へ出られない社会が出来上がってしまっているから、結果子どもの目に触れる機会も少なくなり、子どもの珍しいものを見たい好奇心から、親の「すみません」に繋がっているんだろう。

だけどそこで「すみません」によって子どもに「あぁ、見てはいけないものなんだ」を学ばせてはならないと私は思うのだ。
きっとここを変えないといつまで経っても無限ループで、かなり大袈裟なことを言えば日本は福祉道徳において全く成長しないと思う。

 

 

話をしてくれた女の子

数ヶ月前に、とっても素敵な3,4歳くらいの女の子とドラッグストアで会った。
彼女は物陰から2分程見つめ続けた後で「こんにちは、なにしてるの」とかなり不安そうに弱々しい声で挨拶してくれた。
「こんにちは、歯ブラシを選んでるよ。」
「ふーん。これ触ってい?乗るの?」
「うん、ここなら触っていいよ。これは車いすっていうの。歩けないから乗るの。」
「………………………………………そう。」
この数分間のやり取りが私には暫くぶりのとっても嬉しい出来事だった。
それはもう選んでいた歯ブラシを少し高めの良いものをチョイスしてしまうくらいには!
にっこにこだ!!

難しい顔して「そう」と言ったあとの彼女は、笑顔でママー!と叫びながら走っていったから「歩けない人は車いすに乗るんだよ」とお母さんに報告にしに行ったのだと思う。
私と幼い子どもの間に“常識的な大人”が介入しないことで、私の話を聞いてくれた少女がひとり誕生した。


微笑みながら「こんにちは」は実際大人でも難しい。
私たち大人(にみえる)側から子どもたちへ挨拶するのは不審者と扱われかねないからすごく見極めないとなかなかできないし、子どもたちは「知らない人と話をしてはいけません」って習っているのかもしれない。
だけど「こんにちは」って微笑むだけで、そんなに特異なものでないと発信できるなら私は進んでそうしたいのだ。

それに案外こちらから「こんにちは」を言うことで返してくれる子もいる。
殆どは見てたのバレた!?って感じで逃げていってしまうけど。

やっぱり笑顔と挨拶って大事だよ。と私は心から思うのです。

 

 

 

小さいお子さんをお持ちの方へ

もし、あなたのお子さんが私をガン見していたら私に「こんにちは」って声かけてください。

「こんにちは」と「すみません」では大きく違う。

親御さんの「こんにちは」を子どもたちが真似してくれたら私はとっても幸せになれるんです。

確かに私はガン見されるの苦手です。

ですが子どもは違う。

私を見たことで「世の中にはいろんな形で生活する人がいるんだな」「こんな近所にいるんだな」って知って欲しいんです。

車いすで買い物してる人がいて当たり前っていう感覚を身に着けて欲しいのです。

だから子どもたちはどうぞガン見してください。

なにしてるの?とかどうして車いすに乗ってるの?とか聞いていただいて結構です。大歓迎です!

疑問を持ったら質問しなくちゃ学びは始まりませんから。

そのあとで子どもたちがどう感じたかを家族間で少しでも話題になってくれたら最高ですね。 

 

こんにちは!!!!

 

10代の中途障害者はQOLの落差に泣く


私は映画や美術展を観に行くのが好きだ。
某夢のテーマパークへ行くことも大好きだ。
友人と気軽に買い物に出かけ、話題の可愛らしい小洒落たお店でパンケーキなんか食べるのも最高だ。

 

だが、車いすでこれらを遂行することはかなりの気力と体力を必要とする。
2日前から予約必須の在来線
人混みでの動きづらさ
すれ違う人たちの容赦ない視線
至る所に存在して道を阻む段差
エレベーターのないビル
入り口が階段のみのお洒落に特化した雑貨屋
車いすで通れない幅の歩道
歩道橋をスルーして400m先の信号待ち

これら一つひとつが、私にとって屈辱的なまでにバリアになるのだ。

 

そもそも私は2年半前まで100mを13秒で走るような人間だった。
だからもちろんこれらのバリアを気に留めたことすらない。
2年半前までの私は、好きな時にひとりで映画を観て、母と共に新幹線に乗ってテーマパークで遊んで美術展を鑑賞して、翌日には友達とアンティーク雑貨のお店や古着屋巡りなどを楽しんでいた。
時にはインスタ映えなんかも気にして。

 

今はどうだろう。
映画は車いすスペースに限られ首と肩は疲労でガチガチになるが故に、どうしても映画館でみたい作品しか見ることが叶わないし、県外への外出なんて最早どれだけ平常で和やかな心を保てるかという修行である。
雑貨屋や古着屋なんて基本店が狭すぎて入れないし、入れても商品の配置が詰まりすぎてて結局動けずみる事ができない。
泣いても許されると思う。

 


私は中途障害者である。
それ故に健常者と障害者の扱いの差を嫌というほど味わっている。

1番最初に驚いたことはJRの在来線乗車に予約が必要なことだった。
予約理由は、車いすで乗車するにあたり電車とホームの間にスロープ板を渡して貰わなければならないからだ。
田舎で駅員の数が少ないから予約をしてもらわないと人員が足りない、というのは説明して頂いたのでわかる。駅員の皆さんも駅の利用者の対応やその他業務で忙しいもの。
いや、判るけれども解らない。私だって利用者だもん。勘定に入れろよ。
もしや障害者は唐突に出掛けたいと思ってはいけないと言っているのか?と。

「このあと予定ある?みんなでご飯食べるんだけどきみもどう?」
「いくー!!」
が出来ないのだ。
駅へ行っても
「最低2日前までにご予約されてないとご案内できません。」
と言われて追い返されるのだ。

 

この場合は私が悪いことになるのだろう。
予定が入るであろう日を想定できず2日前に予約もせず、唐突に友人と食事の席を共にしたいと思った私が悪いのであろう。

 

多くの読者(いるかわからないが)はタクシーは?と思われるかもしれないが、6駅分(約24km)の料金を頻繁に払ってくれる石油王のみ、その質問を許します。

 


こんな日々で出掛ける気力は薄れ、私のQOL(Quality Of Life)は暴落した。

 

はじめまして

この度ブログを始めることにしました。
主に私が障害を抱えてから起こった色々な出来事や私の目から見えた景色などを私の言葉で書き綴ります。圧倒的主観日記ですので、全ての車いすユーザーに当てはまる意見ではありません。
私はこれを通して、私と同じ考えを持つ人や同じ障害を持った人たちに出会えたら嬉しいです。
どうぞ宜しくお願いします。

私について

名前:ヒビソウ
年齢:19歳
障害:17歳で車いすデビュー,ADHD
すること全てが0か100かみたいな、微調整できない人。
人の顔色を伺うのが癖なのでゴマすりが上手。
味覚と嗅覚が発達していてまるでソムリエのようです。

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